2011年9月15日木曜日

2011年9月14日水曜日

ちびちゃんのこと


出会えると、その日いちにち幸せな気分になれるものってありますよね。
私にとってはこちら。


神戸元町在住ヨークシャテリアの、ちびちゃん!(8さい)



 朝と夕方に、元町界隈をおじいちゃんがだっこして散歩させているのです。
そう。だっこして。ゆっくりと。不思議な光景です。

あまりに前飼っていたうちの犬と感じが似てて、何回か見かけるうちにもうれつに触りたくなって話しかけて以来、たまに出会うと触らせてもらうのですが、こんな愛らしいぺろんちょ顔なわりにちびちゃんはそっけなく、喜びも嫌がりもせず、あくまでマイペース。







写真もこのとおり、どれだけおだててもそっぽ向き。
(ちなみにスニーカーの主が飼い主のおじいちゃん)
今日はめずらしく、リードでお散歩です。これは夕方の散歩。

しかも、今日は朝の散歩のときにも出会えたのです!いちにち2回!!
なので、あまりにうれしくて、お願いして写真を撮らせてもらった、というわけでした。
まるで追っかけのようです。


みなさんも、元町商店街周辺で、だっこ散歩のぺろんちょ顔ヨーキーを見かけたら、それはちびちゃんなので、名前を呼んであげましょう。
おじいちゃんが、「ちびちゃん、ありがとう、は?」とお返事を促してくれます。しらんぷりですが。




2011年9月12日月曜日

それぞれの孤独

今年、初モノの栗がとれました。
朝晩がちょっと涼しくなってきたなぁ、と思うと、いつの間にか栗のなる季節になってる。毎年、あっという間に。

今年も、ぴかぴかの栗です。まだちょっと、小さいけど。







そしてもちろん、栗ごはんをつくりました。



じつは失敗したのさ。
張り切ってごま塩を先に作ってて、あやうくごま塩が主食になるところだったわ。
炊飯器が炊き上がりの合図をしたからウキウキと蓋をあけると、温水に浸かったまんまのナマ米とナマ栗…。
慌てて蒸し器で蒸しあげて、どうにかこうにか食べられるところまでもってきました。はぁ。
ハイテク電気製品は信用できん…。



ところで、ちょっと前ですが、女子の古本市で買った本、「須賀敦子を読む」を、読みました。
よい本だった。
読み始めたら、あっという間に読み切ってしまった。



とても、愛のある本です。
須賀敦子の書いたもの、そこに至る思想に対して、深く寄りそい、理解したいと思う、愛がある。
やさしい。




彼女の文章を好きだという人は、「読むと心が落ち着くから」というふうにその理由を挙げる人が多いらしい。
たしかに、彼女の書くとてもきれいな日本語と、五感の全てで味わえるような文章は、読んでいてすっぽり包まれるようで、安心してその世界に身を任せられるというか、心が落ち着くのも理解できる。

でも私は、その後ろにある厳しさとか、哀しさとか、つきまとう向こう側の暗さ、みたいな、なんかそういった方により引き寄せられるようで、なんだか心の奥のほうがざわざわするような、ちょっと不安になるような、泣きたいような気分になるのです。
決して、それは不快な感情ではないのですが。




その理由が、分かったような気がします。

作者は、須賀敦子の、過去の思い出をまるで今そこで起こっている出来事のように描く、小説のようなエッセイの形態を、

    失われた時間を書き続けることで、もういちどその時間を「生き直す」

ための、作業だった、といいます。
以下、須賀敦子の文章からの抜粋。


コルシア・ディ・セルヴィ書店をめぐって、私たちは、ともすると自分たちが求めている世界そのものであるかのように、あれこれと理想を思い描いた。
そのことについては、書店をはじめたダヴィデも、彼をとりまいていた仲間たちも、ほぼおなじだっと思う。
それぞれの心の中にある書店が微妙に違っているのを、若い私たちは無視して、いちずに前進しようとした。
その相違が、人間のだれもが、究極においては生きなければならない孤独と隣りあわせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しないかぎり、人生は始まらないということを、すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた。
若い日に思い描いたコルシア・ディ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。




徐々に失っていった時間と人を、書くことで、もういちど生き直す。
そこには、まるで今もそこに存在しているかのような、生き生きとしたかつての友人たちが描かれる。
そうすることで、それぞれの人の、それぞれの孤独を改めて理解する。
それに適したことばを獲得するまで何十年も、だから彼女は書くことをしなかったし、できなかった。

この、深い思い出を共有した人たちとの、すごく近くにいるという感覚とでももう二度と戻らない喪失の感覚と、そのふたつを行ったり来たりしながらも、ぶれない、書くことへの意志に貫かれた文章を読むことで、自分も、何か失ったものを生き直しているような感覚にとらわれるのだろうか、と。
だからすこし、やっぱりさみしくなるんだろうか、と思った。



「私は、孤独が荒野でないことを知った」
ということばは、河出文庫が全集を出したときに、それぞれの刊の帯に一言ずつ、キャッチコピーのように載せていたものの一つです。
はじめ、あまりに詩的なので、ウンベルト・サバの詩集のなかの言葉かとずっと思っていて、今回この評論を読んではじめて、須賀敦子の言葉だと気付いた。
ふかい。

帯の言葉はほかに、
「生きることほど、人生の疲れを癒してくれるものはない」
「くぐり抜けることが必要だった あのたましいの闇」
とか。
編集した担当の人のセンスの良さをかんじる。


ちなみに私がいちばん好きな須賀敦子の本は、「コルシア書店の仲間たち」。


2011年9月5日月曜日

肌に合わない理由




『池澤夏樹の世界文学リミックス 完全版』を読みました。
おもしろかったあ。
もともと、夕刊フジに連載していたものをまとめたものなので、文体はいたってフランク。
池澤夏樹の個人編纂で世界文学全集を作るにあたり、全集の月々の刊行に合わせて、その本についてと周辺の本に関して書かれたコラムです。


池澤夏樹は、江國香織とともに、私の中では、書評はバツグンに読ませるけれど、小説は肌に合わない、という人です。
その理由がですね、江國香織に対する理由とともに、今回この本を読んでいて分かったのですよ。


それは、こういうこと。

クンデラの「存在の耐えられない軽さ」の回で、ヒロインの愛読書であるという流れから「アンナ・カレーニナ」を取り上げるのですが、まるでメロドラマだと、池澤夏樹はこき下ろすのです。

トルストイは、うまい。うますぎる。
それに作者自身が酔っているのが感じられるから、ひねくれた読者は鼻白む。
描写がとても視覚的で、まるで安直なテレビドラマのカメラワークのように説明しすぎる。
だから、気恥ずかしくなる。うまく共感できない。
同じ理由で、三島もまったく受け付けない。

たしかに。
言いたいことは、とてもわかる。
私としてはですね、同じ理由で、だからこそトルストイは好きなのです。(すべて、ではないにしろ)
トルストイは、アンナ・カレーニナに限らずだいたいが大型メロドラマだと思っていて、あれだけの視覚的な描写で読ませる、ということがなければ逆に、中身はあまりないのでは?とか思う。
でも最後に、あーすごいおもしろかった。長時間楽しめたあ、って感じる度合いはけた外れ、という位置づけなのです。
そういうのも、小説の楽しいところ。
(三島は、同じ説明しすぎの視覚的すぎにしても、それが内向きすぎて、鼻について、きもちわるくなる。)

そして、池澤夏樹。
トルストイのそういうところをこき下ろす自分の書くものに対して、「池澤夏樹の書くものは気取っていて鼻持ちならないっていってるやつがどこかにいるだろう、こればかりはお互いさま。しかたがない。」と言うわけ。

これですね、この違い。
あえてテレビ風の手法を避ける作風が、本質をはぐらかしているようで、なんだか物足りない。心に残らない。 まさに、「気取っている」ように感じる。
江國香織も同じニオイがする。だから好きじゃないんだなぁ、と腑に落ちました。
あー、すっきりした。
私みたいに、19世紀イギリス文学にどきどきわくわくするタイプは、同じように思うのでは。


それにしても、池澤夏樹の書評って、ほんとにおもしろいです。
すべて、読んでみたくなる。
読んだことのある本も、読み返したくなる。
一つの本からいろんな本へ話がふくらんで行って、世界にはまだまだ知らない本がいっぱいある!なんて幸せ!死ぬまで読む本に困らないわ!!って気分になれます。
おすすめ。
難を言うと、この本高すぎる、けどね。



さいごに、おきにいりのカワイイものシリーズで、締めます。










2011年9月4日日曜日




京都のインストバンド。
9月に出る、ボーカルフューチャーのアルバムに畠山美由紀が「つかのま」という曲で参加していて、これがね、夏の終わり(というか、秋のはじめ?)の絶品。
PVできるとYouTubeにもアップされるかな。
チェックしてみてください。
よい、よ。
畠山美由紀が歌うから、いいのかも。バイオリンの音によく合う。

2011年9月2日金曜日

アナログとデジタル

なんともすごい台風ですな。
風で、家がガタガタいってます。
うるさくて寝れるだろうか。


そんな夜には、ヘッドフォンでこれを聴きましょう。

Dirty Projectors + Björk - On and Ever Onward



http://soundcloud.com/dominorecordco/dirty-projectors-bj-rk-on-and


すばらしいコーラス。
ビョークとかダーティ・プロジェクタースとか聴いてると、どれだけデジタルが発達しても、音楽ってやっぱり人の声が基本よなぁ、としみじみ思う。
コラボアルバム発売は10月!たのしみ。




そして、

James Blake & Bon Iver - Fall Creek Boys Choir





こちらのコラボも超すてき。
同じく、声とデジタルの融合。

どちらの組み合わせも、すごくアナログなものと最先端のデジタルなものの絶妙な組み合わせで、そういうのがすごく今の時代な感じでおもしろい。



2011年9月1日木曜日

プロの店



ハンカチって、ついつい買ってしまう。とくにこんなデザインなら。
鳥とお花なんて、究極に好みのデザインです。



インドの工房で職人さんが、日本人の陶芸家のひとのイラストをもとに手彫した木版を使い、プリントしたハンカチ。木版のプリントって手作業っぽさもツボ。
神戸は栄町のインテリア雑貨屋「ViVo,VA」で購入。
サイトはこちら。 http://www.vivova.jp/index.htm


北欧雑貨から国内民芸ものまで幅広い品ぞろえ。
家具もヴィンテージ含めていろいろ。椅子がおおいかな。
秋田(やっけ?間違っていたらごめん)の靴下工場で作られた、ずり落ちないけどフィットする絶妙なくつした、とか。

店主のおっちゃんは、しんせつで楽しい人です。
お釣りをくれるときに40肩で腕が上がらないというから、整体を紹介して以来の、けっこう長期に渡るほどほどの顔見知りです。
他愛ない世間話を、息抜きにしに行けるような、ゆっくりしたお店。
でも、おしゃれ。品揃えは、手抜きなしのプロ。
お店、として、いいです、よ。




そして、リサ・ラーソンの作品を、新作からヴィンテージまで扱ってます。



ゆうめいな、ねこ。







そして、とら。





お腹もみせちゃう。





いつかじぶんのお家を建てたなら、玄関におきたい。ほかに何も置かずに。
それまでは、これでがまん。




やまあらしのキーホルダー(もちろんレプリカ)。これはこれでだいぶ、お気に入り。
大阪の、国立国際美術館のミュージアムショップに売ってるよん。