2012年1月22日日曜日

やさしい、の話

私事ですが、つい先日、祖母が亡くなりました。
享年88歳。
「長い間、ご苦労様でした」という、葬儀場の情感たっぷりお決まりアナウンスに、不本意ながらその日いちばん心を揺さぶられた。
88年という長さを、そんなところで実感してしまった、くやしさ。


人の死を考えるとき、よく、吉本ばななのことを思い出します。
吉本ばななほど、生きることと死ぬこととの距離の近さ、あの世とこの世の境目のなさについて書く人はいないのではないか、と思う。
あまりに感覚的で、文章というよりも感想文、みたいな稚拙な印象を持つ人も多いかもしれないけれど、だからこそ、物語は忘れてしまってもその感覚は深い深いところにいつまでも残るようで、感覚的な生き物の私は、吉本ばななの本の、そういうところがあんがい好きです。


そんな吉本ばななの本の中でも、かなりどうでもいい部類に入るこの本。




ただただ、みた夢のことを書いただけのエッセイなんですが。
といっても、へんな人なので、みる夢もやっぱりへんでおもしろい。
ひとつひとつのエッセイに付いている、原マスミのイラストが、すてきです。
高校生の時に、誕生日プレゼントにほしい、ってねだって、友達に買ってもらった。

で、なぜこの本かというと、死んだ人の夢がほんとに多いのですが、その一つに、いとこが死んだときのお葬式を書いたエッセイがあり、そこに、「日本の葬式はやさしい」という一言があって、それを今回思い出したので。

日本のお葬式は、裸よりも恥ずかしい何ていっても骨、を、おはしで拾ってくれる。愛、でしかない。
というような話。

骨あげ、というものなんですが、あれはいつからの風習なのだろうと思って調べたけれど、手順とかは詳しいのに、そもそもどういういきさつで、とかいうところが全然分からない。
なにか、仏教的な意味合いなんだろうか。やっぱり。
でも、そもそも土葬だったろうし。

まぁ、そんなことはいいとして、とにかく、親類みんなで88年分の生きた証を、ていねいに壺におさめていく作業というのは、ほんとうに、やさしい、と思ったのでした。
生きていく人にも、亡くなった人にも。


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