2011年9月28日水曜日

似てる??


おともだちが趣味でイラストを描くひとで、夏くらいに、じゃあ描いてっ!と頼んでいたのを、やっと今頃になって送ってもらったので、載せてみます。
似てる?
じぶんでは良く分からないけど、人は雰囲気がぜつみょうに似てる、と、いう。




月に1回髪型変えてるから、これはだいたい3代前なんですが。
今はもっとショートカットです。
背景が、ピンクなのが、うれしい。
きっと、そういうイメージを持ってくれていいるのでしょう。




ちなみに、もひとり私のだいすきなおともだち。
すてき。








そして、似顔絵を描いてくれた本人。
おもろい。




なすびに似てると、よく言われるらしい。
もしくは、吉本の小藪。

なんにしても、色使いがいいなぁ、と思う。
写真といっしょで、彼女には世界がこんな色に見えてるのかも。

2011年9月27日火曜日

冒険家の文章




石川直樹 『最後の冒険家』を読みました。
感想。
かなり、ふかく、びっくりした。

石川直樹は、いわゆる写真家さんです。もしくは、冒険家。
このほど、土門拳賞を「コロナ」という写真集で受賞しました。
記念の写真展が大阪のニコンサロンで開催されていたので、見に行った時の話は、こちら。
⇒ http://hakusen-moko.blogspot.com/2011/06/blog-post_12.html

なぜこの人のことが気になったのかは今となっては思い出せないのですが、どうしてもまとまった数の写真をきちんと見てみたくなった。
そして、見に行った時の感想を、上のブログに書いたのですが、正直よく分からなかったのです。
あまりにそこに写る景色や人が、見たまんま、そのまんまで。
感情移入しにくい、というか。
「作品」として、どういう風にみていいのかが、写真を技術的な面から見ることのできない素人の私には、全く分からなかった。

そんな石川さんが本を書くとは知らなくて、本屋で見つけて思わず買ったのが、こちらの本。
で、何に驚いたかというと、文章に全く無駄がなく、表現は的確で、それこそ、沢木耕太郎が書くようなスッキリして美しい文章なのです。(沢木ファンなもので、すみません)
かといって文章の専門家とも雰囲気がちょっと違う。
ほんと、本人のポートレイトから受ける印象そのまま、まっすぐ意志の強い、無駄のない、頭だけでなく身体性をしっかり伴った言葉というか。
だからこそ少ない言葉数で、イメージがさらに豊富にダイレクトに届くかんじ。
このひとは、こんなに魅力的な文章を書くことができる人だったんだ、と、正直驚いた。



表題の、「最後の冒険家」とは、気球乗りの神田道夫さんのことです。
かつての冒険とは、地図上の未開の場所を発見することだったけれど、そういった地理的な冒険がもう開拓されつくされて不可能になった今、冒険の意味合いも変わってしまった。
テーマ設定が命、というか、冒険する人のアイデンティティーのための冒険、というか。
そんな中、あくまで「誰も知らない、誰もしたことのないことに挑戦する」という、昔ながらの意味合いの冒険に、気球を使って挑戦し続けた、ある意味最後の「冒険家」である神田さんの、文字通り最後の冒険を見つめた本です。

石川さんは、神田さんの太平洋横断飛行のパートナーに選ばれ、一度は挑戦しますが、失敗して生死の境をさまようような体験をする。
その後、飛行計画に対する意見の違いなどから、2度目の挑戦には参加しないことを決め、結果、神田さんは一人で、半ば無茶ともとれる冒険を決行。そのまま行方不明になります。
その後何年かたち、二人で挑戦した太平洋横断の際に、回収することができずに手放した気球の本体が、奇跡的に日本の悪石島に流れ着き、その回収作業に向かったことを機に、親子ほど年の離れた、しかし生死を共にした友人として、神田さんのことを書こう、と決める。


べたべたしたところの一切ない、でも深い尊敬というか、意志を強く持つ人同士の絶妙の距離感が文章の全部から感じられて、読んでいて心地いい。
それと、気球に乗るという体験が、どんなふうに日常の視点を変えるか、ということが、目を開かされるような素敵な言葉で語られる。
現在における、冒険、ということの意味も考えさせられる。

冒険とか旅行を仕事とする人の文章は、なんとなく生真面目か、ロマンチスト的かのどちらかに大きく分かれるように私は思うけれど、そんな中、石川さんの文章は、決して奇をてらったところがないのに、ほかに似ている人を知らない。


で、写真展「コロナ」の意味をもういちど考えました。
きっと、写真を撮ることを目的に旅をしているのではないのだろう、と。
手や足や、頭や目を使って、いろんな可能性を試してみたい、知らない世界を自分のやり方で、自分の力で知りたい、その先で目にしたものをレンズにおさめた。
そんな感じなのかもしれない、と思ったら、あの、一見感情に訴えにくい、淡々とした写真の持つ意味が少し分かったきがした。
被写体が特別でなくても、それと対峙する自分はきっと、今までと違う世界の見方をできるようになっている。
そんな風に撮られたであろう写真をもういちど、見てみたいと思った。




2011年9月26日月曜日

ごはん本



ひさしぶりに料理の本がほしくなり、本としての美しさと、レシピとしての実力との両方の観点からこちら、高山なおみ 『おかずとご飯の本』を買いました。

レシピを見ながら、作ったことのない料理を作るのが、すきです。


高山なおみは、ふだんのご飯をちょっとエスニックな味にしてみたり、というイメージがある。
どこにでもある材料が、手の加え方を変えると、知らなかった味に仕上がる、みたいな。

この、おかずとご飯の本は、その名の通り、ご飯に合うおかずの数々と、そのもの、ご飯モノのバリエーションで構成されてます。
たとえばカレーでも、ふつうのカレー、夏野菜のカレー、タイカレー、ドライカレーとか数種類。
ふつうのカレーなんて今更レシピ見なくても、と思うけれど、やっぱり人のレシピ見て作ると、いつものお家のカレールー使っても、なんか違う味になるからおもしろいです。


ということで、今回は合びき肉があったので、ドライカレーを作ってみた。




これね、高山なおみっぽいなぁ、と思うのは、ご飯とカレーの間にまず、さらしてから水気をきった紫玉ねぎのスライスを敷いているのです。
そして、ドライカレー自体も、最後の仕上げに香草のみじん切りを混ぜてる。
あと、半熟目玉焼き。
レタスも添えて、ぜんぶ混ぜて食べる。
レタスとごはんって、意外に一緒に食べても合います。
ガラムマサラがきれてたので、適当にスパイスをそれっぽい配合にして使ったら、えらいスパイシーなものに仕上がったけれど、おいしかった。

そろそろお菓子作りも一段落ってかんじなので、料理のバリエーションでも増やすかー。

2011年9月24日土曜日

秋冬の糸

気持ちのよい秋晴れ連休ですな。
ひさしぶりに、休日に晴れた気がする。

私はこの連休初日、明石で行われていた、秋冬の毛糸展示会に行ってきました。
年に2回、春と秋にある。
前にも書いたけれど、展示会だなんて華やかな名前と裏腹に、全くの地味なイベントです。
何が地味って、商工会議所の会議室って開催場所がまず地味なんですが。
そして、参加者がおそらく平均年齢70歳は超えているであろう、という恐ろしく高齢化なイベント。
おばあちゃんたち朝早いからね、10時半に私が着いたころにはもうみんな一通り見終わって、お茶飲みながら井戸端会議の真っ最中、という。
それにしても、ごった返してました。盛り上がってたといえば、確かに盛り上がっていた。


今年の秋冬の傾向としては、色味的には、えんじ色が多いような気がしました。
単色の糸よりは多色染めの糸がやっぱり多いのですが、それでも、メインになる色がえんじ系とか。

あと、きれいにラメの入っている糸が目についたかなぁ。
赤には赤系のラメ、とか、それぞれの糸の色によってラメの色も変えてるので、キラキラ具合が不自然でなくてかわいいかも、と思えるものが多かったような。
そしてスパンコールも、糸自体に元から通してあって、それをさらに何本も撚って仕上げているので、スパンコール部分がぐらぐらしないし、ちくちくもしない、というのとか。
日本の糸メーカーは、こういう技術的な部分は確実に、年々進化している。まぁ、ものすごいマイナーチェンジなんですがね。

とりあえず今年の冬糸に関しては、「こんなオバハンみたいな糸で編めるかよ」って感じのは少なかったです。
豊作かも。
何種類か注文してきたので、届くのが楽しみ。




ところで、1つストール用の糸で変わったのが展示してあって、それだけすぐその日に持って帰れたので、さっそく今日編んでみました。




こちら。
おそらくスペインの糸。
こうしてみると、ちょっと幅の広いただの糸のようですが。




広げると、こんなふうに網のようになっているのです。おもしろいでしょ。
そして、これをいったいどうやって編んでいくのかというと。






この、スペイン語の超簡単な説明書だけもらって帰ってきたのですが、右の写真のように、網の一番上の部分の穴を、まずつくり目として拾っていきます。
針の太さは何でもオッケー。あんまり細いと滑って編みにくいので、ちょっと太めのほうがいいかも。
拾う目数も適当でいいと思うけれど、とりあえず8目くらいがストールの横幅としては適当なような。







で、8目つくり目から、ひたすらガーターに編んでいきます。
8目表編みで編んだら、折り返してまた表編み。
そうしてるうちに、こんな風にもしゃもしゃしてくるわけ。





で、数時間後、編みあがりました。
とっておき、ソフィア・ココサラキのドレスに合わせてみる。



肩にたらしただけの状態。





そして、2重巻き。




なんだかモードでおしゃれ、と言っていいのか何なのか微妙ですが、ぱっと見たら普通にガーターで編んだだけには見えない凝ったストールですし、こういうストールとか用の変わり糸にしてはとても長さがあるから1玉でボリュームも出るし(これね、たった1玉で編めちゃうのです)、編むのも楽しいし、良いのでは。
私は、最近ひたすらかぎ針編みをし続けているので、いい気分転換になりました。
すぐに出来上がるというのが、何よりも、よい。
値段はたぶん2000円くらい。




編みながら聴いてたもの。
さいきんずっと聴いてる。 THE DRUMS 「PORTAMENT」
DRUMSの2ndアルバムです。




あんまりこのあたりの「~S」ってバンドは、どれもなんだか音も歌詞もビーチボーイズ?って感じで(という、思い込み)、聴いてなかったけれど、なんだかこれはいいです。
軽いようで、暗いようで。テーマは、喪失、らしい。暗いな。
ボーカルがいつも短パンなのが、気になる。


ほんとは、ほかの曲が好きなのですが、見当たらなかったので、これでがまん。





2011年9月23日金曜日

New!



New PV!!!
ビョークだから許される、このビジュアル。
なんだか分からんけど、なんだかすごい。

ふだんは、ふつうにおしゃれなんですけどね。
むかしインタビューのときに、マルジェラのジャケット着てて、汚れた手をそのジャケットでごしごし拭く、というシーンがあり、あぁ、マルジェラのジャケットをそこまで無造作に着られる人になりたい…と思ったものでした。

2011年9月20日火曜日

アートな島







みなさん、連休いかがお過ごしでした?

わたしは、島に行っておりました。
瀬戸内海のアートスペース豊島(てしま、と読む)です。
続きで直島、そして倉敷の大原美術館の予定だったのですが、いろいろあって急きょそのへんはカット、豊島のみの1泊になったのですが。

えらい雨で…。
あんな大雨の中を歩き回るのなんて、かつて台風のまっただ中に屋久島で山登りしたとき以来かも。
長靴の中まで濡れるほどの大雨2日間でした。台風きてたからねぇ。


ちなみに、ひとっこ一人いない、大雨の海岸。さみしー。





しかし、ひどい雨でうんざりを上回る、超たのしい島!でした。
なーんもないの。
直島ほど完璧に管理されていなくて、島民のアート作品への関わり方がすごいゆるくて、なんか島興し独特の、妙に自分ところのアートに誇りを持ってる、みたいなのがまるでない、あくまでフツーな感じが、すごくいい。

だからって、作品が中途半端とかではないのです。
これがもう、さいこう。

いままで、どこかやっぱり現代美術って頭でっかちというか、アイデアありき、みたいなイメージがあって、たとえばスペースとして気持ちがいいなぁ、とかはあっても、作品として何か深く共感するという感覚がよく分からなかったのですが、豊島美術館に関しては、思想も、アート作品としても、建築物としても、空間としても、すべてをまるごと同時に、説明いっさい抜きで体感できてしまうという、今までにない感覚を味わうことができました。
かんどうした。
2時間くらいあっという間に過ぎてしまう。


大雨で写真もろくに撮れなかったので、いろいろ探してもっとも分かりやすい映像を。







アーティストは内藤礼。そして、建築家は西沢立衛(あの、SANAAね。てんさい)。
これまた美術館のコンセプトがたいへんよく分かる映像を。






とにかく、いままで体験したことない空間です。
ふかーいところから針のような穴を通して湧き出す地下水の水滴と、空からの雨の水滴がゆっくり混ざり合って、流れて、次第にひとつになっていく。
それがまた、地下に吸い込まれていく。
永遠のくりかえし。
反響する風の音と、低い人声とが混ざって、それこそ胎内のような心地よさです。


美術館は棚田の中にあって、島の真ん中をうねうね走る道路のいろんなポイントから、その白い姿を遠くに望むことができます。そういうのも、よい。


そして、豊島はおっちゃん達がやさしい。いろいろ教えてくれます。




これは、電動自転車乗り場のおっちゃんがくれた、島に生えてるクローバーの押し花。
とっておきの5枚葉っぱ!うれしい。


2日もいればかなり詳しくなったので、これから豊島に行く予定がある方はぜひなんでも聞いてくださいな。
どこのアートは勝手にタダでみれちゃう、とか、知ってます。

そして、これから冬の初めにかけては、カニがうまいらしいよ。
魚の幸もたらふくいただきました。だいまんぞく。





もうひとつ、かなりの神秘的アートがこちら。




森万里子の作品『トムナフーリ』
これね、宇宙とつながってるんですよ。すげえ。




「神岡宇宙素粒子研究施設(スーパーカミオカンデ)とコンピューターで接続しており、超新星爆発(星の死)時に発せられる ニュートリノのデータを受信し、インタラクティブに発光する。」

というものなのですが、宇宙で星が死ぬたびに、それを受信して、白いのが光るのです。
私が見に行ったときはうすぼんやりしてるだけでしたが。

この展示はロケーションがすごくって、山の中の細い急な坂道を登りきった竹やぶの中に、突然現れる池の中に立っている。
私は大雨の中、夕方薄暗くなってから無人の時に訪れたので、けっこうなコワさでした。
池の中に引きずり込まれそうな。何かがすぐ後ろに立っていそうな。
神秘度合いは満点でしたが。

他にも、展示物は島に点在して多数あります。
関西からなら、日帰りで十分たのしめます。大オススメ。


2011年9月19日月曜日

未来を生きる





映画「未来を生きる君たちへ」をみました。
デンマークの映画。今年の、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した作品です。

上の男の子2人がキーパーソンで、それぞれの家族が抱える問題と、世界の問題とがリンクしながら話が進んでいく。
テーマは、「許しと復讐」。
憎しみの連鎖は何を生み出すか、どうすればそれを断ち切って許し、受け入れることができるか。

デンマークでは夫婦や親子といった個人的なレベルの感情のズレ、アフリカの難民キャンプでは部族間抗争と、地理的な距離はあって、なんの関連もないようにそれぞれの憎しみは存在するけれど、それを生み出しているのも乗り越えるのも同じ人間という生き物であり、決して別々の憎しみではない。

むかし9.11まえに、ビョークがインタビューで、「大きな平和と小さな平和」というような話をしていて、それは、平和というものは世界レベルのものと個人レベルのものとがあって、自分は普段周りにいる人びととの平和や幸せを大事に真剣に歌うことで、大きな平和にもそれはつながっていく、自分はそういうふうに、小さな平和を生み出すことに、歌を通じて創造的に関わりたい、というような内容だったのですが(アメリカに住むようになって、ビョークはもっと具体的に積極的に、大きな平和について歌うようになってきたけど)、このことを、私はよく思い出します。

この平和と、その平和は、別物だと思ってはいけない。
憎しみも。
目の前のひとつの憎しみに、逃げずに向き合って、受け入れる努力をしてみる。
少なくとも、わたしをとりまく世界は変わる。
それが、大きな世界を変えることも、もしかするとあるかもしれない、と思いたい。
そういう想像力を、持てる人でありたい、と思う。

希望のある映画です。
とてもよくできている。おすすめ。


2011年9月15日木曜日

2011年9月14日水曜日

ちびちゃんのこと


出会えると、その日いちにち幸せな気分になれるものってありますよね。
私にとってはこちら。


神戸元町在住ヨークシャテリアの、ちびちゃん!(8さい)



 朝と夕方に、元町界隈をおじいちゃんがだっこして散歩させているのです。
そう。だっこして。ゆっくりと。不思議な光景です。

あまりに前飼っていたうちの犬と感じが似てて、何回か見かけるうちにもうれつに触りたくなって話しかけて以来、たまに出会うと触らせてもらうのですが、こんな愛らしいぺろんちょ顔なわりにちびちゃんはそっけなく、喜びも嫌がりもせず、あくまでマイペース。







写真もこのとおり、どれだけおだててもそっぽ向き。
(ちなみにスニーカーの主が飼い主のおじいちゃん)
今日はめずらしく、リードでお散歩です。これは夕方の散歩。

しかも、今日は朝の散歩のときにも出会えたのです!いちにち2回!!
なので、あまりにうれしくて、お願いして写真を撮らせてもらった、というわけでした。
まるで追っかけのようです。


みなさんも、元町商店街周辺で、だっこ散歩のぺろんちょ顔ヨーキーを見かけたら、それはちびちゃんなので、名前を呼んであげましょう。
おじいちゃんが、「ちびちゃん、ありがとう、は?」とお返事を促してくれます。しらんぷりですが。




2011年9月12日月曜日

それぞれの孤独

今年、初モノの栗がとれました。
朝晩がちょっと涼しくなってきたなぁ、と思うと、いつの間にか栗のなる季節になってる。毎年、あっという間に。

今年も、ぴかぴかの栗です。まだちょっと、小さいけど。







そしてもちろん、栗ごはんをつくりました。



じつは失敗したのさ。
張り切ってごま塩を先に作ってて、あやうくごま塩が主食になるところだったわ。
炊飯器が炊き上がりの合図をしたからウキウキと蓋をあけると、温水に浸かったまんまのナマ米とナマ栗…。
慌てて蒸し器で蒸しあげて、どうにかこうにか食べられるところまでもってきました。はぁ。
ハイテク電気製品は信用できん…。



ところで、ちょっと前ですが、女子の古本市で買った本、「須賀敦子を読む」を、読みました。
よい本だった。
読み始めたら、あっという間に読み切ってしまった。



とても、愛のある本です。
須賀敦子の書いたもの、そこに至る思想に対して、深く寄りそい、理解したいと思う、愛がある。
やさしい。




彼女の文章を好きだという人は、「読むと心が落ち着くから」というふうにその理由を挙げる人が多いらしい。
たしかに、彼女の書くとてもきれいな日本語と、五感の全てで味わえるような文章は、読んでいてすっぽり包まれるようで、安心してその世界に身を任せられるというか、心が落ち着くのも理解できる。

でも私は、その後ろにある厳しさとか、哀しさとか、つきまとう向こう側の暗さ、みたいな、なんかそういった方により引き寄せられるようで、なんだか心の奥のほうがざわざわするような、ちょっと不安になるような、泣きたいような気分になるのです。
決して、それは不快な感情ではないのですが。




その理由が、分かったような気がします。

作者は、須賀敦子の、過去の思い出をまるで今そこで起こっている出来事のように描く、小説のようなエッセイの形態を、

    失われた時間を書き続けることで、もういちどその時間を「生き直す」

ための、作業だった、といいます。
以下、須賀敦子の文章からの抜粋。


コルシア・ディ・セルヴィ書店をめぐって、私たちは、ともすると自分たちが求めている世界そのものであるかのように、あれこれと理想を思い描いた。
そのことについては、書店をはじめたダヴィデも、彼をとりまいていた仲間たちも、ほぼおなじだっと思う。
それぞれの心の中にある書店が微妙に違っているのを、若い私たちは無視して、いちずに前進しようとした。
その相違が、人間のだれもが、究極においては生きなければならない孤独と隣りあわせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しないかぎり、人生は始まらないということを、すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた。
若い日に思い描いたコルシア・ディ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。




徐々に失っていった時間と人を、書くことで、もういちど生き直す。
そこには、まるで今もそこに存在しているかのような、生き生きとしたかつての友人たちが描かれる。
そうすることで、それぞれの人の、それぞれの孤独を改めて理解する。
それに適したことばを獲得するまで何十年も、だから彼女は書くことをしなかったし、できなかった。

この、深い思い出を共有した人たちとの、すごく近くにいるという感覚とでももう二度と戻らない喪失の感覚と、そのふたつを行ったり来たりしながらも、ぶれない、書くことへの意志に貫かれた文章を読むことで、自分も、何か失ったものを生き直しているような感覚にとらわれるのだろうか、と。
だからすこし、やっぱりさみしくなるんだろうか、と思った。



「私は、孤独が荒野でないことを知った」
ということばは、河出文庫が全集を出したときに、それぞれの刊の帯に一言ずつ、キャッチコピーのように載せていたものの一つです。
はじめ、あまりに詩的なので、ウンベルト・サバの詩集のなかの言葉かとずっと思っていて、今回この評論を読んではじめて、須賀敦子の言葉だと気付いた。
ふかい。

帯の言葉はほかに、
「生きることほど、人生の疲れを癒してくれるものはない」
「くぐり抜けることが必要だった あのたましいの闇」
とか。
編集した担当の人のセンスの良さをかんじる。


ちなみに私がいちばん好きな須賀敦子の本は、「コルシア書店の仲間たち」。


2011年9月5日月曜日

肌に合わない理由




『池澤夏樹の世界文学リミックス 完全版』を読みました。
おもしろかったあ。
もともと、夕刊フジに連載していたものをまとめたものなので、文体はいたってフランク。
池澤夏樹の個人編纂で世界文学全集を作るにあたり、全集の月々の刊行に合わせて、その本についてと周辺の本に関して書かれたコラムです。


池澤夏樹は、江國香織とともに、私の中では、書評はバツグンに読ませるけれど、小説は肌に合わない、という人です。
その理由がですね、江國香織に対する理由とともに、今回この本を読んでいて分かったのですよ。


それは、こういうこと。

クンデラの「存在の耐えられない軽さ」の回で、ヒロインの愛読書であるという流れから「アンナ・カレーニナ」を取り上げるのですが、まるでメロドラマだと、池澤夏樹はこき下ろすのです。

トルストイは、うまい。うますぎる。
それに作者自身が酔っているのが感じられるから、ひねくれた読者は鼻白む。
描写がとても視覚的で、まるで安直なテレビドラマのカメラワークのように説明しすぎる。
だから、気恥ずかしくなる。うまく共感できない。
同じ理由で、三島もまったく受け付けない。

たしかに。
言いたいことは、とてもわかる。
私としてはですね、同じ理由で、だからこそトルストイは好きなのです。(すべて、ではないにしろ)
トルストイは、アンナ・カレーニナに限らずだいたいが大型メロドラマだと思っていて、あれだけの視覚的な描写で読ませる、ということがなければ逆に、中身はあまりないのでは?とか思う。
でも最後に、あーすごいおもしろかった。長時間楽しめたあ、って感じる度合いはけた外れ、という位置づけなのです。
そういうのも、小説の楽しいところ。
(三島は、同じ説明しすぎの視覚的すぎにしても、それが内向きすぎて、鼻について、きもちわるくなる。)

そして、池澤夏樹。
トルストイのそういうところをこき下ろす自分の書くものに対して、「池澤夏樹の書くものは気取っていて鼻持ちならないっていってるやつがどこかにいるだろう、こればかりはお互いさま。しかたがない。」と言うわけ。

これですね、この違い。
あえてテレビ風の手法を避ける作風が、本質をはぐらかしているようで、なんだか物足りない。心に残らない。 まさに、「気取っている」ように感じる。
江國香織も同じニオイがする。だから好きじゃないんだなぁ、と腑に落ちました。
あー、すっきりした。
私みたいに、19世紀イギリス文学にどきどきわくわくするタイプは、同じように思うのでは。


それにしても、池澤夏樹の書評って、ほんとにおもしろいです。
すべて、読んでみたくなる。
読んだことのある本も、読み返したくなる。
一つの本からいろんな本へ話がふくらんで行って、世界にはまだまだ知らない本がいっぱいある!なんて幸せ!死ぬまで読む本に困らないわ!!って気分になれます。
おすすめ。
難を言うと、この本高すぎる、けどね。



さいごに、おきにいりのカワイイものシリーズで、締めます。










2011年9月4日日曜日




京都のインストバンド。
9月に出る、ボーカルフューチャーのアルバムに畠山美由紀が「つかのま」という曲で参加していて、これがね、夏の終わり(というか、秋のはじめ?)の絶品。
PVできるとYouTubeにもアップされるかな。
チェックしてみてください。
よい、よ。
畠山美由紀が歌うから、いいのかも。バイオリンの音によく合う。

2011年9月2日金曜日

アナログとデジタル

なんともすごい台風ですな。
風で、家がガタガタいってます。
うるさくて寝れるだろうか。


そんな夜には、ヘッドフォンでこれを聴きましょう。

Dirty Projectors + Björk - On and Ever Onward



http://soundcloud.com/dominorecordco/dirty-projectors-bj-rk-on-and


すばらしいコーラス。
ビョークとかダーティ・プロジェクタースとか聴いてると、どれだけデジタルが発達しても、音楽ってやっぱり人の声が基本よなぁ、としみじみ思う。
コラボアルバム発売は10月!たのしみ。




そして、

James Blake & Bon Iver - Fall Creek Boys Choir





こちらのコラボも超すてき。
同じく、声とデジタルの融合。

どちらの組み合わせも、すごくアナログなものと最先端のデジタルなものの絶妙な組み合わせで、そういうのがすごく今の時代な感じでおもしろい。



2011年9月1日木曜日

プロの店



ハンカチって、ついつい買ってしまう。とくにこんなデザインなら。
鳥とお花なんて、究極に好みのデザインです。



インドの工房で職人さんが、日本人の陶芸家のひとのイラストをもとに手彫した木版を使い、プリントしたハンカチ。木版のプリントって手作業っぽさもツボ。
神戸は栄町のインテリア雑貨屋「ViVo,VA」で購入。
サイトはこちら。 http://www.vivova.jp/index.htm


北欧雑貨から国内民芸ものまで幅広い品ぞろえ。
家具もヴィンテージ含めていろいろ。椅子がおおいかな。
秋田(やっけ?間違っていたらごめん)の靴下工場で作られた、ずり落ちないけどフィットする絶妙なくつした、とか。

店主のおっちゃんは、しんせつで楽しい人です。
お釣りをくれるときに40肩で腕が上がらないというから、整体を紹介して以来の、けっこう長期に渡るほどほどの顔見知りです。
他愛ない世間話を、息抜きにしに行けるような、ゆっくりしたお店。
でも、おしゃれ。品揃えは、手抜きなしのプロ。
お店、として、いいです、よ。




そして、リサ・ラーソンの作品を、新作からヴィンテージまで扱ってます。



ゆうめいな、ねこ。







そして、とら。





お腹もみせちゃう。





いつかじぶんのお家を建てたなら、玄関におきたい。ほかに何も置かずに。
それまでは、これでがまん。




やまあらしのキーホルダー(もちろんレプリカ)。これはこれでだいぶ、お気に入り。
大阪の、国立国際美術館のミュージアムショップに売ってるよん。