2011年3月30日水曜日

気になる人



さいきん最も気になる人といえば、NHKの水野解説委員。
NHKのニュースで、原発の解説をしている人です。

なんかねぇ、すごいスマートにオシャレなんですよ。
まいにち、ネクタイとシャツの組み合わせが絶妙で、柄の組み合わせとかも上手で、気がつくと、今日はどんな格好かなぁ、とチェックをしている毎日。
(ニュースに登場すると、お母さんが、「水野さん出てるよ」と呼びに来るくらい)

で、なんか画像ないかと検索してみたら、やっぱり世間も同じように思っているようで、めっちゃネクタイの柄とかに注目していて笑えた。
特に、このあいだくまさんのネクタイ(しかもこれがまたオサレ)をしていたのとかはかなり出回っていて(上の写真)、NHKの解説委員なんて地味な職業の人なのに、すごい画像が豊富。
ネットってすごいなぁ。
水野さんの前は、7時28分の愛人(しつれい?)の半井さんの野暮ったさチェックが毎日のささやかな習慣でありました。どっか行っちゃったねー。

2011年3月28日月曜日

わたしを離さないで



映画「わたしを離さないで」を、みてきました。
待望の。

感想ですが、原作者のカズオ・イシグロが制作にも関わったというだけあって、あと、脚本のアレックス・ガーランドとカズオ・イシグロは長年の友人関係ということもあって、とても、原作の雰囲気を再現できてる、と思った。
原作に忠実、というのとは、また違うのですが。
監督はそういう解釈をしたのだなぁ、という感じかなあ。
あの緻密な小説のいろんな要素の中で、そこを取り上げたらこうなるのか、と。

ただ、見てる時から、そして見終わったあとさらに、ものすごく悲しい気持ちになって、小説ではそんな風に思わなかったのになぜか、を、ずっと考えていた。
それはたぶん、「記憶」の扱い方だと。

カズオ・イシグロが去年、10数年ぶりに来日した際のインタビューで、
「キャシーは友人や恋人らをすべて失うが、記憶だけは誰にも奪われなかった。彼女を最後まで支えたのが、幸せな記憶です。記憶があれば、死に対して、ある部分では勝ったといえると思う」
と言ってます。
「提供者」である彼女たちがその運命を受け入れられたのは、ヘールシャムで与えられた「子供時代」があったからです。
それゆえ、他の施設と違って、ヘールシャムは特別だった。
トミーとルースも、その幸せな子供時代の記憶の一つだと思う。そこに特別な恋愛の要素が入ったとしても。
だからキャシーは、原作では映画と違って、トミーの最後を見届けることはせずに、再び自分の運命と向きあう。
全体にものすごく抑制がきいた文章ということもあるけれど、やはり、強い悲しみや絶望を原作からは感じられないのは、その子供時代の記憶がとても丁寧に書かれていて、恋愛以上の深いつながりを持てた、その記憶を、大切に大切に抱え、後悔したり償ったりぶつかったりしながらもういちど向き合う、そういう物語だからだと思う。
自分や大切な人の、あらがえない死に向き合う話だけでは、決して、ない。
希望、とはいえないかもしれないけど、あかり、がある。


とはいえ、映画もほんとうに良い出来でした。
とにかく映像がキレイ。カズオ・イシグロの小説は、どこか霧のかかったような雰囲気があると思うのですが、そんな感じをとてもよく表わせてる。
ぜひ、見てみてください。
原作を読んでいない人は、そっちの方をよりオススメするけどね。

2011年3月23日水曜日

着々と

編みこみのセーターは、着々と進んでおります。
着々ってほどでもないけどね。


後ろ身ごろができあがりました。
アイロンもかけて、寸法通り。





裏は、こんな感じ。



編みこみをしたことがある人なら分かると思いますが、3種類の糸しか使ってなくても、それぞれのパーツごとで糸を分けて編んでいくので、オレンジと水色の水玉が並んでる部分では、5玉同時に使って編んでいることになります。
裏地が上のようにすっきりとなるためには、隣りあった糸を交差しながら編み進めて行くので、気をつけないと絡み合ってえらいことになります。
その辺の手間が、編みこみの大変でもあり楽しいところでもあるかも。
初心者の人でも編みはじめるとやめられなくなるなんて、よく聞きます。
確かに、目に見えて模様ができて行く過程は、わくわくするものです。



ちょっとやってみたいアナタにおススメの本。
大人気ですが。


三國万里子 『編みものワードローブ』
あの無添加お菓子の、なかしましほさんのおねえさん。
スタイリングがかわいいので、眺めてるだけでも楽しい感じの本。
どっちかというと、いわゆる森ガール系ですけどね。
編みこみのものもいっぱい載ってます。

最近ほぼ日で、三國さんの展覧会の模様を連載するコーナーが始まりました。
妹さんとの最後の姉妹展の模様です。
なんかぜんぜん欲のない人柄らしく、そういうのは知らなくても作品から伝わる。
人の手が作り出すものは、ほんとに嘘なく、その人を表わすのだなぁ、と。

ちなみに、ほぼ日のコーナー「三國万里子の編み物の世界」は、こちらから。
http://www.1101.com/mikuni/2011-03-17.html

2011年3月21日月曜日

早春の恵み

3連休はいかがお過ごしだったでしょうか。
あまりお天気よくなかったですね。暖かかったですが。

私は、ほんとうは尾道方面に1泊で行く予定だったのですが(「てっぱん」とは無関係。あしからず)、地震の関係で中止になってしまい、お家遊びになってしまいました。
しかたないけど、あぁ、ざんねん。


ということで、マイプライベート里山に春の恵み、よもぎを摘みに行ってまいりましたあ!
栗の木やサツマイモなどを植えている山の畑周辺には、そろそろよもぎの新芽がいっぱい出てきてます。
探しながらひたすらしゃがんで摘むこと2時間。
腰が痛くなってやめたけど、たらいにいっぱいくらい摘めました。




芯の固い部分を取り除いたり、ゴミをより分けたりしながら水洗い。
そのあと、柔らかくなるまで茹でます。




茹でるときに、灰汁をとるために、栗の木を焼いた時に出る灰を一緒にお鍋に入れます。
重層を使ってもよいみたいですが、なるべく自然のものの方がいいでしょ。
栗の木の灰は、粒子が細かくて良いらしい。
この、だしパックの袋に入ってます。



いったん水洗いしたら、塩を適量ふりかけて叩きます。
繊維を切って柔らかくするため。



塩をすると、とてもいい色になった。
ジップロックに小分けして、冷凍庫へ。



ここまでできたら、あとは使う時に混ぜ込むのみ!
よもぎのおはぎによもぎパン、よもぎ餅…。あんこを炊いて、いろいろ作らねばっ。

2011年3月18日金曜日

伝え方について



17日(木)の、内田樹のツイートより。

「疎開」の提言に対して、「不安を煽るのを止めろ」という反論があります。安全な地域では被災者を受け入れる準備を始めるべきだという主張に反対される理由が僕にはうまく理解できません。「そんなことをしたら東京の経済活動が元気がなくなる」という反論もありました。
でも、今は「そんな話」をしている段階ではないのではないかと思います。現実に西日本への疎開は大規模に進行しており、東京発の西行き新幹線は「お盆なみ」の混み方だそうですが、メディアはこれを報道しません。
何が起きているのかをクールに、価値判断をまじえずに報道することが、風評被害やパニックを回避する最良の手立てだと僕は思います。報道管制は「報道管制など行われていない」という信憑が成り立つ場合にしか効果を持ちません。でも、現実には「不都合な真実」は報道されていない。




テレビや新聞は、どうしてこういう大きな災害や事件事故となると、定型の報道しかしないんだろう、と、最近の報道を見ていると思います。
正確に全てが伝えられているとは、どうしても思えない感じになってくる。(たとえ伝えられているとしても)
なんだか殺伐としてきているのは、どうもそういうのも原因じゃないのかなぁ、と思い始めました。

ツイッターは、普段はどうでもいいことがほとんどなので最近チェックしてなかったけど、こういう何が正しいのかよくわからなくなるような混乱期には、マトモな人と、そこにつながりがあるたくさんのマトモな普通の人のことばが、新聞やテレビより、より近くて正確に思える。
なにをマトモとして選択するか、は、本人の判断力で左右されますが。
でもテレビみているよりは、ある意味頭がクリアになると、私は思います。

2011年3月17日木曜日

スープの手ほどき

関東発信のホームページやブログは、節電のためか更新されていない(もしくは、最低限のみ)ものが多いですが、中で糸井重里のほぼ日は、日常を続けている。
こういうときに自分の仕事を続けるということは、自分がどうすべきか、を深く深く考え抜ける人でしょう。
それが結果的に良いか悪いかは別として、自分は何をすべきか、を今ちゃんと考えて、発信する決断をできるということは、だいじなことだと思う。

と思っていたら、今日のトップページのコラムで、そのようなことを糸井重里が述べていて、とても、なるほど、と思ったのでした。

こちら  ⇒  http://www.1101.com/home.html
(16日(水)の「今日のダーリン」を読んでほしかったのですが、日にちが更新されていて、昨日のは読めなくなっております。バックナンバーもないみたい。ざんねん!
でも、こういう時に和む連載とかもあるので、のぞいてみるのもよいのでは)





ところで、いま読んでいる本。


辰巳芳子「スープの手ほどき」

いわゆる、「いのちのスープ」の人です。
一時期、NHKとかでよく活動が取り上げられてましたね。
最近あまり見ないけど。定着したということでしょうか。

新書版なので、おそらく「あなたのために―いのちを支えるスープ」という単行本が集大成としたら、その主な部分をピックアップしたような内容になっているのだと思うのですが。
それでも、だいじな部分はしっかり載っています。
(カラーばっかりなので、新書なのに単行本並みにお高い。)

まだ読んでいる途中ですが、「食べることは、生きること」という思想が全てのことばから感じられます。
お味噌汁は、日本人が生きていくために必要な全ての要素が込められていて、それに類するような昔から食べ続けてこられた食材とか料理は、日本の風土において先人たちが生き抜くために厳選し、食べ続けるために工夫を重ねて残っているものだ、という、当然すぎて気にしていなかったような部分に目を開かされる思いです。

だしを取るのがめんどう、だなんて、ここが全ての基本でないか!と、ちょっと、ハッと気付いた感じ。

病気で食べ物を全て受け付けなくなったような人でも、この人のスープは飲める。そして、命をつなぐことができる。
いま、胃ろうが社会的に問題視されていますが、あの状態を生きているとはたして言うのか、とやはり、この本を読めば思います。
人の手で丁寧に作られた「食べ物」を食べられてこそ、やはり人は生きているということになるのでは、と。そして、生きていくことができるのでは。元気なひとでも、そうなのでは。

週末あたり、丁寧にとった出汁をつかって、お味噌汁など作ってみようと思っています。

2011年3月15日火曜日

編みこみの今

編みこみのセーターの、今は後ろ身ごろを編んでいるところです。
ちょうど、アームホールの開始点を過ぎたところらへん。





もう一つこの上に、水色のまるを入れるつもり。


ところでこの糸、つぶつぶの部分がランダムに表だったり裏だったりに出てくるのですが、お好みでいっぱい表に持ってくることもできちゃいます。
で、今現在ほとんどを表に出してる状態ですが、んー、ちょっとクドいねー。
これの8割くらいでいいかも、です。
また裏に引っ込めよう。





ところで、うちのお預かりいぬ。きーちゃん。

どこかおかしい…?





そう。この座り方。ふつうの犬がどういう座り方するか、もうはっきりと思い出せないんですが(自分ちの犬が死んでしまって久しいので)、なんかヘンな気がする…。
前足と後ろ足の位置が違うような…。

2011年3月14日月曜日

1作目出来上がり!

やあっと、仕上げました!


糸始末を残すだけだったのですが、それがなかなか手をつけられず…。
前の写真とさほど変わりがないかもしれませんが、ちゃんと、裾と袖ぐりを編んでます。
なので、前よりもカタチがしゃきっとしてるはず。


ちなみに、縁編みは、細編み1目+鎖2目の組み合わせです。
こんな感じ。




細編みの1目分しか高さがないせいで、模様が詰まってちょっと棒針で編んだみたいに見えます。
すべて、方眼編みのアレンジのみ。




襟も、こんな風にふんわりと仕上がりました。
前も言ったけど、編み模様が違ってるの分かります?



自分で着るなら、もうちょっと凝ったデザインにしたかもしれませんが、人にあげるものということで、シンプルに丁寧に。


ということで、順調?に、今年1作目完成!
2ケ月に1作品のペースを目標にしているので若干押してますが、でも次回作の編みこみセーターは平行して編んでるので、どうにかなるかなぁ。
編みこみセーターの進捗状況に関しては、また明日ってことで。



ところで、だいたい編み物ネタを披露できるような週末は、家にいて朝から晩まで、みたいな感じなので、ついでにお菓子やご飯もがっつり作ることが多いのですが。

今回は、いろいろ作った中からバナナマフィンを。


それはナゼかと言うと!


ついに買ってしまったのだ!というか、買ってもらったのだ!
千代田のマフィン型!!!


千代田金属工業株式会社という、1967年創業の、製菓・製パンの焼型製作で定評のある、金属加工専門の会社と、お菓子の材料屋さんクオカのコラボ製品です。
全てプロのパティシエ仕様で、大きさを家庭用オーブンサイズに4分の1にしたもの。

うちのオーブンはもう年季モノなので、どうも紙カップでマフィンを焼くと熱の伝わり方にムラがあって、ムラなく焼こうとすると若干焼きすぎなくらいになってしまいがちだったのです。
それが、やっぱりよい型を使うと、中はふっくらなのに、周りは金属を通していてもきっちり焼き色がついて素晴らしくおいしい出来になる、と、いろんな口コミを見るにつけ、ほしいなぁ、と常々思っていたのです。

今回は、欲張って中に入れるバナナを多めにしたせいで、ちょっとしっとりしすぎな感じに仕上がってしまいましたが、それでも中はもっちもち。グラシンケースをはがした部分はこんがり焼き色。
大満足。高いの買った甲斐があったわ~。(いや、買ってもらったのでした)
いろいろ作るの楽しみになります。

2011年3月13日日曜日

地震のこと


地震について何か言おうと思うのですが、どうも16年前の阪神大震災のときのあの不安感というか何というか、そういったどうしていいかわからない感じを、当時と同じように感じる日々で、時間が経つことできっと、どうにかなってくよ、というようなことしか言えないかんじです。
どうにもならないこともいっぱいあるけど。
でも今はがんばって一日いちにちを過ごして行ってほしいなぁ、と思います。

2011年3月8日火曜日

夜想曲集

ひさしぶりに、本のお話を。


カズオ・イシグロの「夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」
初の短編集です。
文庫本になったので、読んでみようかと。

この人は、新しい本をだすたびにテーマとか作風が違っていて、でもやっぱり全ての作品に共通して、どこか「ひっそり」した空気が感じられるように思う。
それが今回の短編集は、ちょっと意外なくらい、「あったかさ」とか「ほほえましさ」とか、そういうのがひっそりした中にいい塩梅に混じっていて、それがなんとも読後にいい気分を余韻として残します。
単行本として出た当初は、軽く立ち読みした感じではあまりピンとこなかったので後回しにしていたのですが、こんな早くに文庫化されるとは。
読まず仕舞いになるところでした。読んでよかった。
やっぱりハズさないなぁ、この人は。


音楽にまつわる短編集です。
老いた元有名歌手や、その別れた奥さん。顔を整形して売れっ子になろうとするミュージシャン。うまくいってる人なんて一人もいないし、これからうまく行くかどうかも全然分からない人ばっかりで、この先同じことの繰り返しかもしれなくて、立ち止まって思い出して悲しくなったりして、でもやっぱり生きて普通に生活していくのもそんなに悪くはないかもなぁ、と思えるような話。
「仕方がない」というのでもなく、積極的に何かが明るく照らすわけでもなく、でも、「悪くない」って思えるような。
音楽がいろんな場面で効果的に使われるからでしょうか。普段は本を読むときに音楽は聴かないのですが、これを読んでる時には、ゆるいボーカルの曲を聴いてた。そんな、本です。

カズオ・イシグロを読むなら、断然、「私を離さないで」と「日の名残り」をおススメしますが、これはね、軽く読めるので、とっかかりとしてどうぞ。
今月末には「私を離さないで」がついに日本で公開されますよ!
これも、以前のブログにトレイラーのリンク貼ってます。
キャリー・マリガンの演技が楽しみ。

コチラ  ⇒  http://hakusen-moko.blogspot.com/2010/06/blog-post_17.html

あ、自分の前に書いたの見て思い出したけど、「17歳の肖像」は大したことなかったなぁ。ウキウキして観はじめたのに。
それでもキャリー・マリガンの魅力はもうほんとに全開でした。
話の筋なんてどうでもいいくらいに。(どうでもいいような話やったし、実際)
キャリー・マリガンが主役じゃなかったら、かなりお粗末なものになってたのでは…、って感じ。

2011年3月7日月曜日

初らくご



週末は、立川志の輔独演会@国立文楽劇場に行ってきましたあ。
初のナマ落語。日本橋の文楽劇場も、初。
演芸場ともホールともまた違う、独特に雰囲気のある場所でした。不思議と庶民っぽい。でも、ハレの場所っぽい。

演目は、前座のあとに、創作の「メルシーひな祭り」、仲入り後に、「抜け雀」。
どちらもまるで大人数のお芝居を見ているようで、40分以上も一人の人だけでやってるとは思えないような、めまぐるしい、目を離せないものでありました。
ああいうのを、芸、というのだなぁ、と思った。
今度は上方落語も見てみたい。大阪弁の響きを、存分に味わってみたいような。

しかし、ことばというのは、ほんとおもしろいものですねぇ。
私が本やラジオが好きなのもそこですが、ことばだけで、全てを「見る」ことができる。
脳ミソの中は、無限大なわけです。

2011年3月4日金曜日

春夏計画


パリコレがはじまりましたね。
上は、NYコレのロダルテですが。
ロダルテといえば、先日のアカデミー賞で主演女優賞を受賞したナタリー・ポートマンの映画「ブラック・スワン」の衣装を担当。
レッドカーペットのドレスもロダルテで、似合っていてステキでした。


映画は5月に公開されますね。たのしみ。
以前のブログに、トレイラーのリンク貼ってます。
 コチラ 
http://hakusen-moko.blogspot.com/2011/01/blog-post_18.html


ところで今年の春夏は、鮮やかな原色や花柄が大ハヤリになりそうですが、どうもやっぱり、私はブルーが気になる。
上のロダルテみたいな、水色と紺色とか。
下の、こんな、薄い水色と黒もよい。


去年もそういえば、夏物ワンピースをブルーのグラデーションで編みましたが、今年も引き続きこの路線でチャレンジしてみようかなぁ、と考え中。



そんな中、秋冬のコレクションの中で、もっとも好きなルックを。


ロシャスです。
もう、めっちゃ好き。
このまんまの形で、配色で、いろんな編み模様を組み合わせて編みたいっ!!
スタイリングもかわいすぎる。メイクも。もう全て。


そろそろあったかい季節モノを編む準備に入るころ。
糸を選ぶところからです。楽しみ。
早くあったかくなってほしいですねぇ。

2011年3月2日水曜日

正体


謎の音の正体が、半月ぶりにやっと判明。
はぁ、これで心置きなく熟睡できる…。

で、正体は、というと。
電源を切った状態で仕舞っていた、古いケイタイ。
もちろん充電もしてないから電池ゼロで、いちおう確認のためにONにしようとしてみても立ち上がりもしなかったので、音が鳴るものとしては排除していたのですが、なんとそれが鳴っていたのだあ!
なんでだっ!?
毎日6時半に目覚ましが鳴るようにセットなんてしたことないし。

それが、6時半に勝手に目覚ましを鳴らそうとしてONになり、でも電池がなくて目覚まし鳴らせないから、「充電しろよ!」と警告音を10秒鳴らしていたのです。
そんなん知らんっ!

古い電化製品恐るべし…。
よく、発火したりしてますもんねぇ。
みなさんも気をつけて。

いろんな人にどうしたもんかと聞いてたんですが、けっこうあったのが、電池で動くおもちゃがソファーとかベッドの下に忘れられていて、とっくに電池切れしてるのに、何かの拍子に動き始めて不審な音が…、というもの。
ナイトスクープの相談で、ソファから音がするのを調べてもらったら、中で虫喰ってた、という恐ろしいものまで。

まあ、とにかく一安心。。
頭の中で鳴ってるんじゃなくて良かった。。。

2011年3月1日火曜日

篠山小旅行


週末に、篠山に行ってきました。
黒豆の里。
そして、蕎麦の里。
そしてそして、だいぶワルい猿がうようよいるらしい里。花火を使うのねー。

なぜ篠山かというと、ルーシー・リー展からの流れがありまして。
あまりの素朴な美しさに、この興奮冷めやらぬ間に他にもいろんな陶芸をいっぱい見てみたい!となり、それなら、かつてハンス・コパーの企画展もしていて、バーナード・リーチの作品なども多数所蔵している、兵庫陶芸美術館でしょう、ということになったのです。
で、そこまで行くのなら、篠山まで!と。

ほんとはもっと前に行く予定をたてていたのですが、週末に大雪が降ったりして、延期の延期で、この週末になったのでした。


お久しぶりに登場。浮かれ写真。ゆるして。
篠山の中心部。篠山城跡のお堀と石垣。

さいきん篠山は、神戸や大阪から車で1時間くらいで来れるということで、お城の周辺の古い建物を改装した、おちついた雰囲気のおしゃれなお店とかが増えているようです。
お城周辺には武家屋敷がたくさん残っていて、街並みがわざとらしくなく自然と古ぼけていて、田舎くさくて、まるで街全体が田んぼのあぜ道みたいな、おもしろいところです。
行った日は、法事かなにか黒い服の人だらけで、その違和感もなんだかおもしろかった。

ライフスタイル型というのでしょうか。衣食住の提案を、街からの視点でなく、郊外からの視点で発信していくような人たちが、グループを作って活動したりしてるみたい。
そこに住むことで見える、地元の良さを活かした活動というか。
今のご時世、売り上げとかはネット販売でどうにかなりそうで、そう考えると、どこに住んでいても、自分の望む、理想的な暮らしというものは作ることができるのだなぁ、と、最近、こういう郊外の居心地のいいお店とかに行くと、よく思う。
まぁ、街暮らしのようなおしゃれさ、っていう要素がないと成り立たない感じが、ちょっと限界を感じるところでもあります。
どこもステキな空間なんですけどね、でも篠山にいるのかどこにいるのか分からない感じになる。
街にあってもおかしくない、っていうか。
街では絶対できないけど、今までの田舎にもなかった、っていうような空間を、見てみたい。




そんな篠山中心部の中でも、かなりのレベルでステキなお店が、こちら。





食べログ貼っておきます。
あんまり情報口コミされてないけど。
篠山に行くことがあれば、ぜひ!

ステキなハコに、センスのいい内装。
おいしい中国茶。いい音楽。
薄く差し込む自然光。
かなり、いいです。



金柑のパウンドケーキ。かわいい。





ところで、本題の兵庫陶芸美術館。


こちらも、建物の、石と木とガラスの配分がとても落ち着く、よい建物でした。
ガラス張りの一角に、景色を見ながら休憩できるように、みずいろのソファーが置いてあったり。
今の展示自体は、さほど惹かれるものはなかったのですが。

篠山、たまにはいいですよ。
お蕎麦もおいしーし。
あ、あと、「小西のパン」の黒豆パンはさいこうやった。