2011年8月20日土曜日

生きる




私が特別なわけではないんだって、ただ少し多く早く味わってしまっただけだって。

このことの全てが私固有の心の傷なんかじゃない。
これこそが、生きるということなんだって。
私たち人間は思い出をどんどんどんどん作って、生み出して、どんどん時間の中を泳いでいって、
でもそれはものすごく真っ暗な巨大な闇にどんどんどんどん吸い込まれていくの。
私たちにはそれしかできないの。死ぬまでずっと。
ただ作り続けて、どんどんなくしていくことしか。




彼女たちはぼくらの間で生きるには
あまりに強く、あまりに利己的に、あまりに夢見がちに、
あまりに盲目的になりすぎていた







最期の日々の生き方とは、とりもなおさず自らの人生の選択そのものである

「たとえ見ることが出来なかろうとも、花はやはり咲くべきだし、咲かせたいから、いつまで出来るか分からないが、水をやるのを怠るまい。
私が見られなくても、私の愛した花を誰かが見るだろう。そして私に代わって愛してくれるだろう。
それを望んでいる」





そんなにさ、しゃべんなくたって、
伝わることもあんだろ?
僕は死ぬように生きていたくはない。
そこで愛が待つゆえに。
愛が待つゆえに、僕は行く。

何ひとつ、言えなかったのは、ただひとつ、伝えたかったから。
僕は死ぬように生きていたくはない。
そこで愛が待つゆえに。
愛が待つゆえに、立ち止まる。

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