2011年11月21日月曜日

サラの鍵、のこと。


 


映画をみてきました。
大阪ヨーロッパ映画祭という、日本未公開、もしくは公開前のレアなヨーロッパの映画がいっぱい見られるというイベントが現在大阪で開催されているのですが、そこで、20日に1回限り上映された、『サラの鍵』です。先行上映。
大阪ヨーロッパ映画祭のHPはこちら。 ⇒ http://www.oeff.jp/


ベストセラーだった、同名の小説が原作です。



本の表紙には見覚えがあり、ベストセラーなのも知ってたし、映画化されたのも知っていた。
でも敢えてすすんで読みたいと思わなかったのは、やっぱり、ユダヤ人虐殺が主要なテーマとなると、非常に重いってことが読まなくても分かるからです。
だから映画も、こういう形でなければ、一般公開されたのを観に行くということはしなかったように思う。
結果、付き合いの勢いで、まぁ観てよかった、かなぁ…。



一つ、設定として知らなかったというか、意外だったのは、舞台はフランスで、そのフランスに住むユダヤ人を、ナチスドイツではなく、同じフランス人警察が弾圧した、という歴史的事実です。
同国人どうしでそうせざるをえなかった(そして、見て見ぬふりをせざるをえなかった)罪悪感みたいなのが深くあり、だからこそいろんな人が、被害者も加害者も、戦争のあと、いろんなことを秘密にしながら現実と折り合いをつけて生きていくしかなかった。

そのフタを、ふとしたきっかけで開けてしまった、ジャーナリストの女性が主人公です。
彼女の人生の選択も、それで大きく変わる。


最後、たしかに希望があるような終わり方をします。
でもやっぱり私は、希望は添え物で、主要な言いたいことは、徹底的に損なわれた人生というのは、決して救うことができない、という、ただそれだけのように思ってしまった。
自分でも、他人の力をもってしても。
一人の人生が損なわれることで、関わった周りの人の人生も、少しずつ損なわれていく。
たとえ嘘や秘密でやり過ごそうとしても、原因が取り除かれることは決してない。
もし、それを希望に変えようとするなら、そのために更に新しい傷が広がることも覚悟して、乗り越えなければならない。
もしかすると、乗り越えられずに終わるということも、あるかもしれない。
傷は、一人だけでは絶対にすまない。

虐殺はたしかに大きな悲劇で、でもそれ以上に、それによって損なわれた人生が、果てしなくいろんなことを巻き込んで損ない続けるということこそ、本当の悲劇だ、と思った。
本人がいなくなっても、歴史的な事実を人が忘れつつあっても、それでも今も損なわれ続けている、というのが、いちばん怖い。

半端に人がいっぱい死んでいく映画よりも、よっぽど私はヘコみました。
まぁでも、それだけ良くできた映画だということです。
主演のジャーナリスト役、クリスティン・スコット・トーマスは、とてもよかった。
お金を払って、時間を使って、じっくり観る価値があるかどうかっていう点では、けっこういい線いくと思います。
公開されたら、みなさんもぜひ。
年明けから、順次公開です。

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