2011年9月5日月曜日

肌に合わない理由




『池澤夏樹の世界文学リミックス 完全版』を読みました。
おもしろかったあ。
もともと、夕刊フジに連載していたものをまとめたものなので、文体はいたってフランク。
池澤夏樹の個人編纂で世界文学全集を作るにあたり、全集の月々の刊行に合わせて、その本についてと周辺の本に関して書かれたコラムです。


池澤夏樹は、江國香織とともに、私の中では、書評はバツグンに読ませるけれど、小説は肌に合わない、という人です。
その理由がですね、江國香織に対する理由とともに、今回この本を読んでいて分かったのですよ。


それは、こういうこと。

クンデラの「存在の耐えられない軽さ」の回で、ヒロインの愛読書であるという流れから「アンナ・カレーニナ」を取り上げるのですが、まるでメロドラマだと、池澤夏樹はこき下ろすのです。

トルストイは、うまい。うますぎる。
それに作者自身が酔っているのが感じられるから、ひねくれた読者は鼻白む。
描写がとても視覚的で、まるで安直なテレビドラマのカメラワークのように説明しすぎる。
だから、気恥ずかしくなる。うまく共感できない。
同じ理由で、三島もまったく受け付けない。

たしかに。
言いたいことは、とてもわかる。
私としてはですね、同じ理由で、だからこそトルストイは好きなのです。(すべて、ではないにしろ)
トルストイは、アンナ・カレーニナに限らずだいたいが大型メロドラマだと思っていて、あれだけの視覚的な描写で読ませる、ということがなければ逆に、中身はあまりないのでは?とか思う。
でも最後に、あーすごいおもしろかった。長時間楽しめたあ、って感じる度合いはけた外れ、という位置づけなのです。
そういうのも、小説の楽しいところ。
(三島は、同じ説明しすぎの視覚的すぎにしても、それが内向きすぎて、鼻について、きもちわるくなる。)

そして、池澤夏樹。
トルストイのそういうところをこき下ろす自分の書くものに対して、「池澤夏樹の書くものは気取っていて鼻持ちならないっていってるやつがどこかにいるだろう、こればかりはお互いさま。しかたがない。」と言うわけ。

これですね、この違い。
あえてテレビ風の手法を避ける作風が、本質をはぐらかしているようで、なんだか物足りない。心に残らない。 まさに、「気取っている」ように感じる。
江國香織も同じニオイがする。だから好きじゃないんだなぁ、と腑に落ちました。
あー、すっきりした。
私みたいに、19世紀イギリス文学にどきどきわくわくするタイプは、同じように思うのでは。


それにしても、池澤夏樹の書評って、ほんとにおもしろいです。
すべて、読んでみたくなる。
読んだことのある本も、読み返したくなる。
一つの本からいろんな本へ話がふくらんで行って、世界にはまだまだ知らない本がいっぱいある!なんて幸せ!死ぬまで読む本に困らないわ!!って気分になれます。
おすすめ。
難を言うと、この本高すぎる、けどね。



さいごに、おきにいりのカワイイものシリーズで、締めます。










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