2011年9月27日火曜日

冒険家の文章




石川直樹 『最後の冒険家』を読みました。
感想。
かなり、ふかく、びっくりした。

石川直樹は、いわゆる写真家さんです。もしくは、冒険家。
このほど、土門拳賞を「コロナ」という写真集で受賞しました。
記念の写真展が大阪のニコンサロンで開催されていたので、見に行った時の話は、こちら。
⇒ http://hakusen-moko.blogspot.com/2011/06/blog-post_12.html

なぜこの人のことが気になったのかは今となっては思い出せないのですが、どうしてもまとまった数の写真をきちんと見てみたくなった。
そして、見に行った時の感想を、上のブログに書いたのですが、正直よく分からなかったのです。
あまりにそこに写る景色や人が、見たまんま、そのまんまで。
感情移入しにくい、というか。
「作品」として、どういう風にみていいのかが、写真を技術的な面から見ることのできない素人の私には、全く分からなかった。

そんな石川さんが本を書くとは知らなくて、本屋で見つけて思わず買ったのが、こちらの本。
で、何に驚いたかというと、文章に全く無駄がなく、表現は的確で、それこそ、沢木耕太郎が書くようなスッキリして美しい文章なのです。(沢木ファンなもので、すみません)
かといって文章の専門家とも雰囲気がちょっと違う。
ほんと、本人のポートレイトから受ける印象そのまま、まっすぐ意志の強い、無駄のない、頭だけでなく身体性をしっかり伴った言葉というか。
だからこそ少ない言葉数で、イメージがさらに豊富にダイレクトに届くかんじ。
このひとは、こんなに魅力的な文章を書くことができる人だったんだ、と、正直驚いた。



表題の、「最後の冒険家」とは、気球乗りの神田道夫さんのことです。
かつての冒険とは、地図上の未開の場所を発見することだったけれど、そういった地理的な冒険がもう開拓されつくされて不可能になった今、冒険の意味合いも変わってしまった。
テーマ設定が命、というか、冒険する人のアイデンティティーのための冒険、というか。
そんな中、あくまで「誰も知らない、誰もしたことのないことに挑戦する」という、昔ながらの意味合いの冒険に、気球を使って挑戦し続けた、ある意味最後の「冒険家」である神田さんの、文字通り最後の冒険を見つめた本です。

石川さんは、神田さんの太平洋横断飛行のパートナーに選ばれ、一度は挑戦しますが、失敗して生死の境をさまようような体験をする。
その後、飛行計画に対する意見の違いなどから、2度目の挑戦には参加しないことを決め、結果、神田さんは一人で、半ば無茶ともとれる冒険を決行。そのまま行方不明になります。
その後何年かたち、二人で挑戦した太平洋横断の際に、回収することができずに手放した気球の本体が、奇跡的に日本の悪石島に流れ着き、その回収作業に向かったことを機に、親子ほど年の離れた、しかし生死を共にした友人として、神田さんのことを書こう、と決める。


べたべたしたところの一切ない、でも深い尊敬というか、意志を強く持つ人同士の絶妙の距離感が文章の全部から感じられて、読んでいて心地いい。
それと、気球に乗るという体験が、どんなふうに日常の視点を変えるか、ということが、目を開かされるような素敵な言葉で語られる。
現在における、冒険、ということの意味も考えさせられる。

冒険とか旅行を仕事とする人の文章は、なんとなく生真面目か、ロマンチスト的かのどちらかに大きく分かれるように私は思うけれど、そんな中、石川さんの文章は、決して奇をてらったところがないのに、ほかに似ている人を知らない。


で、写真展「コロナ」の意味をもういちど考えました。
きっと、写真を撮ることを目的に旅をしているのではないのだろう、と。
手や足や、頭や目を使って、いろんな可能性を試してみたい、知らない世界を自分のやり方で、自分の力で知りたい、その先で目にしたものをレンズにおさめた。
そんな感じなのかもしれない、と思ったら、あの、一見感情に訴えにくい、淡々とした写真の持つ意味が少し分かったきがした。
被写体が特別でなくても、それと対峙する自分はきっと、今までと違う世界の見方をできるようになっている。
そんな風に撮られたであろう写真をもういちど、見てみたいと思った。




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