2011年5月11日水曜日

人情噺ふたつ


連休中に、またまた落語を見に行きました。
立川談春独演会@京都府民ホールアルティ
(幟の向こうの人は知らない人です。念のため)

最もチケットの取りにくい噺家だそうで。
このあいだの志の輔さんもそうらしく、人生で2回の落語体験がそろって二人ともそんな名人級だったおかげで、すっかり、落語はかなりハイレベルなエンターテインメントだという幸せな認識ができてしまいました。

演目は、前座の「牛ほめ」に続き、「棒だら」と「紺屋高尾」。
棒だらは、酔っ払いの話で、紺屋高尾は十八番らしく、人情噺。
落語の人情噺は、ある意味先が読める展開なわけですが、それでも笑えたりしんみりしたり、きゅんとしたり、最後はきっちりうれし泣き、みたいな落とし所があって、よい。
そういえば、私は人が死なない映画が好きなのですが(厳密には、死、というものを直接的に見せなくても、他の方法でそれを描けるような映画)、そういう意味で落語の人情噺は、かなり性に合うかもしれない、と思う。
またみたいです。
2時間、世俗を忘れて没頭できる。




人情噺といえば、映画もみました。
「イリュージョニスト」。アニメです。


「ベルヴィル・ランデブー」のシルヴァン・ショメが、ジャック・タチの半世紀眠っていた脚本をもとに作った作品。
時代遅れになってしまった手品師のお話です。
ベルヴィル・ランデブーが、とても不思議なタッチで印象深く、そして音楽とアニメ映像の組み合わせが独特にセンスよく好きだったので、ぜひ今作もみたかったのです。

しかしなんとも切ない。
シルヴァン・ショメの、線も色も淡いタッチの絵が、さらに切なくさせる。
現実というのはいつか追いついてくるもので、目をそらしていては生きていけないってことかなぁ。
手品師は、女の子を置いて遠くにいってしまうのですが、それしか方法がないと、見ている誰もが思ってしまう感じが、かなしい。

なぜかみる前は、ハッピーエンドのコメディーと思いこんでいたので(たしかにコメディーな要素もいっぱいあるのですが)だんだん悲しくなっていくのに「えぇ~?」と思いつつ、でも人生ってそういうものかも…、と、深く思ったのでした。


そういえばこの日曜の、毎日新聞書評「好きなもの」欄で石田衣良が、本好きが高じて作家になった過程を振り返り、7歳の時に作家になりたいと初めて思い、そのあと22歳と36歳の2回の転機以来15年作家として存在できているのは、特別な力があったわけではないと思う、というのに続いて書いていたことが、よかった。

「ずっと飽きずに熱中できて、30年間真剣に取り組めるなら、誰でもちょっとしたプロくらいにはなれるのだ。10年おきに3回真剣に願えば、夢の欠片くらいは叶うのではないか。そういう甘い考えが、ぼくは好きです。」

人生そんな甘いものではないのだよ、と、かなしいジャック・タチは言うかもしれんが、私もそういう甘い考え、好きです。

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