2010年11月8日月曜日

理系の入口

今日は風が強くてさむいすねー。
週末は、とてもあったかかったのに。
土曜日は、さいきん休日は寝っぱなしだったので、久しぶりにお布団を干してみたりしました。
夕方、あったかくフカフカになった布団に、どこから来たのかハエがいっぱいたかってたのが、若干ショックでしたが。。。
冬は、布団を干す、という楽しみがありますね。


ところで、ミランダ・ジュライの衝撃短編集以来、読みたくなるような本がなかなかなくて困っていたのですが、週末に出会いました。
「世にも美しい数学入門」 藤原正彦、小川洋子 著



小川洋子が「博士の愛した数式」を書くにあたって、数学者の藤原正彦に取材をしたのがきっかけになり、その後行われた二人のトークショーの内容をふくらませて本にした、対談形式のもの。
小川洋子は、もちろん、小説家。そして、対談の内容は、「数学」。
でも、とても文学的な本なのです。
それは、文学の観点から対談を行ったから、というのではなく、そもそも、数学という学問が、とても文学的な面を持っているから、ということ。

数式や証明を、「美しい」「醜い」と表現する部分が頻繁に出てきますが、それは、数学が唯一、「永遠の真理」を見つける学問だから。
たとえば、「3角形の内角の和は180度」というもの。
これは、たとえ地球が爆発してなくなってしまっても、変わることがない真理なわけです。
そんなものは、一切、どんな分野にも存在しない。物理だって、科学だって、時代によって塗りかえられていく「学説」でしかないわけです。
そうした、「真理」を発見して、それを証明していく過程には、豊かなイマジネーションが不可欠で、だから、数学者の資質として、「美しいもの」を理解する能力がまず備わっていなければならない。
だから、数学の天才が生まれた場所というのは、例外なく美しい環境だそうです。おもしろい。(日本にも、たくさん数学の天才がいて、それは、俳句のように、自然を17文字で集約するような文化的背景が存在するから、とか)
あと、どんな発見でも、美しくない証明というのは、軽蔑されるらしい。これもおもしろい。

数学とは、神様の作ったものを見つける仕事、っていうふうに、読んでいて思いました。とても、謙虚な仕事。

あと、数Ⅰでやったような、基本的な数式の証明がたくさん載っているのですが、これも、「こんなふうに美しい」と説明されると、ああ、確かにこれは美しいなぁ、と思えてくるから不思議。

昔、突然マラソンを始めた友達が、「体育で走らされていたときはマラソンなんて大嫌いだったけど、自分でやりたくなって走り始めると、こんな楽しいことはない」と言っていて、なんでもそうだなぁ、と思った。
関わり方次第で、まったく違ったものになる。
数学も、こんな美しい学問だと教えられていれば、もっと違う学び方ができたかも。
って、思えるような、ステキな本です。
興味をもたれたなら、ぜひぜひ。

ちなみに、もう1冊いっしょに購入したのが、これ。


おもしろそうでしょ。

通っている、かかりつけの病院の近所に、だいぶくたびれた店構えの町の本屋さんがあるのですが、中身はかなりのワンダーランドで、毎回かなり時間をかけて見て回ります。
2冊とも、そこで買ったもの。
パジャマか?みたいな格好の、あたまボサボサのおじさんが、カセットテープでクラシックを流しながら店番しているような。
本棚はいっぱい詰め込んであって、ごちゃごちゃしてて、でも、すごいマニアックな品ぞろえ。
こういう本屋が近くにあればなー。
というか、こういう本屋つぶれずに長生きしてほしいなあ。

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