2010年11月18日木曜日

物語、とは。

先週末、14日の毎日新聞書評欄で、江國香織が、ミランダ・ジュライの「いちばんここに似合う人」の書評を書いていました。

江國香織の書評はハズしてない、と、いつもながら思う。
趣味が合う、というか。
書評だけれど、小説のようにうつくしい。
しかし!江國香織の書く小説は、どうも好きになれないのです。肌が合わない、というか。
そこが、いつも不思議だなぁ、と思う。


今回の書評も、とても、読みたい熱をじわじわ盛り上げるようなもので、よかったです。
たとえば、

「これらの短編を読むと、物語はつくられるものではなく、発掘されるべきものだ、ということがよくわかる。小説は著者が書くので、著者によってつくられるものだ。でも物語は違う。
 ミランダ・ジュライは物語の発掘能力に長けた作家だ。(中略)十六編全部に、著者の世界観、人間への眼差しが感じられて、たとえばきわめて性能のいいレンズ、としての作家の、息づかいがそこにいきいきとあるのだ。見る、ということ、待つ、ということ、そもそもの初めからそこにあったはずの物語が、顔をだすその瞬間をとらえる、ということ。」

ね、こういうのを読むと、ああ、大好きな本を、こんな風にきれいなことばで人に伝えることができたらいいのに、と、ため息のような気分になります。

あと、「物語は、発掘される」という言葉。
今読んでいる、村上春樹のインタビュー集とどこか通じるものがある。



まだはじめの方しか読んでいないのですが、けっこうおもしろいです。
読むまえ、小説は、小説として読む側にゆだねられるべきで、作者の説明は必要ないという気分も多少あったのですが、このインタビュー集は、村上春樹という人が、「物語」というものにどれほど真摯に向き合っているかということと、その表現方法が、一作品ごとにどう変化していって、その流れがどれほど必然だったのか、といことが、よくわかるもので、単なる作品解説とは全然違うものです。
1Q84が大ブームになっていたとき、けっこうハズした書評を新聞とかに書いてる人がいたけど、そういう人には読んでほしいものだ。
たんに、「ものがたり」を書いているだけなんですよね。そして、その力を、信じているというか。
それが、ほんとよくわかる本です。

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