2011年3月18日金曜日

伝え方について



17日(木)の、内田樹のツイートより。

「疎開」の提言に対して、「不安を煽るのを止めろ」という反論があります。安全な地域では被災者を受け入れる準備を始めるべきだという主張に反対される理由が僕にはうまく理解できません。「そんなことをしたら東京の経済活動が元気がなくなる」という反論もありました。
でも、今は「そんな話」をしている段階ではないのではないかと思います。現実に西日本への疎開は大規模に進行しており、東京発の西行き新幹線は「お盆なみ」の混み方だそうですが、メディアはこれを報道しません。
何が起きているのかをクールに、価値判断をまじえずに報道することが、風評被害やパニックを回避する最良の手立てだと僕は思います。報道管制は「報道管制など行われていない」という信憑が成り立つ場合にしか効果を持ちません。でも、現実には「不都合な真実」は報道されていない。




テレビや新聞は、どうしてこういう大きな災害や事件事故となると、定型の報道しかしないんだろう、と、最近の報道を見ていると思います。
正確に全てが伝えられているとは、どうしても思えない感じになってくる。(たとえ伝えられているとしても)
なんだか殺伐としてきているのは、どうもそういうのも原因じゃないのかなぁ、と思い始めました。

ツイッターは、普段はどうでもいいことがほとんどなので最近チェックしてなかったけど、こういう何が正しいのかよくわからなくなるような混乱期には、マトモな人と、そこにつながりがあるたくさんのマトモな普通の人のことばが、新聞やテレビより、より近くて正確に思える。
なにをマトモとして選択するか、は、本人の判断力で左右されますが。
でもテレビみているよりは、ある意味頭がクリアになると、私は思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿