2011年3月17日木曜日

スープの手ほどき

関東発信のホームページやブログは、節電のためか更新されていない(もしくは、最低限のみ)ものが多いですが、中で糸井重里のほぼ日は、日常を続けている。
こういうときに自分の仕事を続けるということは、自分がどうすべきか、を深く深く考え抜ける人でしょう。
それが結果的に良いか悪いかは別として、自分は何をすべきか、を今ちゃんと考えて、発信する決断をできるということは、だいじなことだと思う。

と思っていたら、今日のトップページのコラムで、そのようなことを糸井重里が述べていて、とても、なるほど、と思ったのでした。

こちら  ⇒  http://www.1101.com/home.html
(16日(水)の「今日のダーリン」を読んでほしかったのですが、日にちが更新されていて、昨日のは読めなくなっております。バックナンバーもないみたい。ざんねん!
でも、こういう時に和む連載とかもあるので、のぞいてみるのもよいのでは)





ところで、いま読んでいる本。


辰巳芳子「スープの手ほどき」

いわゆる、「いのちのスープ」の人です。
一時期、NHKとかでよく活動が取り上げられてましたね。
最近あまり見ないけど。定着したということでしょうか。

新書版なので、おそらく「あなたのために―いのちを支えるスープ」という単行本が集大成としたら、その主な部分をピックアップしたような内容になっているのだと思うのですが。
それでも、だいじな部分はしっかり載っています。
(カラーばっかりなので、新書なのに単行本並みにお高い。)

まだ読んでいる途中ですが、「食べることは、生きること」という思想が全てのことばから感じられます。
お味噌汁は、日本人が生きていくために必要な全ての要素が込められていて、それに類するような昔から食べ続けてこられた食材とか料理は、日本の風土において先人たちが生き抜くために厳選し、食べ続けるために工夫を重ねて残っているものだ、という、当然すぎて気にしていなかったような部分に目を開かされる思いです。

だしを取るのがめんどう、だなんて、ここが全ての基本でないか!と、ちょっと、ハッと気付いた感じ。

病気で食べ物を全て受け付けなくなったような人でも、この人のスープは飲める。そして、命をつなぐことができる。
いま、胃ろうが社会的に問題視されていますが、あの状態を生きているとはたして言うのか、とやはり、この本を読めば思います。
人の手で丁寧に作られた「食べ物」を食べられてこそ、やはり人は生きているということになるのでは、と。そして、生きていくことができるのでは。元気なひとでも、そうなのでは。

週末あたり、丁寧にとった出汁をつかって、お味噌汁など作ってみようと思っています。

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