2010年8月13日金曜日

お盆と、『沈黙博物館』

お盆ですね。
お盆ですが、仕事をしていますが。
お盆が終わったあたりに、ゆっくりめで休みを取ろうかな、と。

いま、世間でお盆というものがどういう捉えられかたをしているのかはよく知りませんが(たとえば、単なる大型連休のひとつ、とか)、我が家では、お盆になると、家の近くの辻で迎え日を焚き、そして、お盆の終りには送り火を焚いて、ご先祖さまを見送ります。
普段は全く意識しないけれど、なぜかあの、夕暮れの中での迎え火と送り火の瞬間は、死んだひとが近くにいる、と、思える。
年にいちど、たしかに、死者を身近に感じることができる、というふうに、私はお盆を捉えてますが。

で、この本。



小川洋子「沈黙博物館」。
毎日新聞の日曜日書評で、「この人・この3冊」というコーナーがあるのですが(毎日の書評はいちばん楽しい)、先日、湯川豊が選ぶ小川洋子の3冊、の中に選ばれていた1冊です。
湯川豊は、さいきん、須賀敦子論を出して、高い評価を得たひと。

選んだ3冊は、「ミーナの行進」、「沈黙博物館」、「夕暮れの給食室と雨のプール」。

郷愁が小説の中心にあるのは日本文学でもまれなこと、という理由で「博士の愛した数式」をおいてこの「沈黙博物館」を選んだ、という文を読んで、わあ!このヒトは信用できるっ!と思ったのです。

まさにその「郷愁」ゆえに、私はこの間「ミーナの行進」を読んたとき、ものすごい複雑な感動と、ずーっと尾を引くような泣きたい気分になったので。
最近の小川作品では得られなかった満足感を、久々得られたのでした。

そして、「夕暮れの給食室と雨のプール」は、私のすきな初期小川洋子作品の中でも、一番印象深くて不気味で好きな「妊娠カレンダー」所収の短編。
これだけ好みがぴったり合えば、まだ読んでいない「沈黙博物館」もアタリでしょう!ということで読み始めたのですが。

これがね、死者とのかかわり方をテーマにした本なのです。こんなお盆の時期にタイムリーにも。
村人が死ぬたびに形見を奪い取ってきて、博物館を作ろうとする老婆と少女に雇われた、博物館技師の話。

まいにち形見を整理しているうちに、形見は人が生きていた証の品のはずなのに、なぜか、死後の世界にいる彼らの姿を物語っているように見えることがある、だから、形見に触れていると、遠く漠然としていた死の世界が、すごく身近に感じられて、死というのはこんなにも懐かしいものだったんだ、という気分になる。

みたいなことを、技師さんが話す部分があるのですが。
形見に触れ合う機会を持つことと、年にいちど死者と語らう日をもつことは、死者と繋がるという意味で、どこか似ている。

まだ最後まで読んではいませんが、どう展開するのか楽しみな本です。
アイデア倒れ雰囲気のみ、みたいなことにならないように祈るばかり。(けっこう小川洋子はそんなの多いよね)


関係ないけど、髪型を、そろそろ変えたい。
ちょっと長くなってくると、すぐ切りたくなるのだ。
エンポリオ・アルマーニの、秋冬コレクションより。
ドレスが似合うショートってことで。すてき。




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